今年の夏は暑すぎて海水浴場への人出が減ったという記事があった。また、近年は海水浴自体の人気も落ちてきているらしい。あと、30年もすれば海水浴という文化自体がなくなっているかもしれないなどと考える。実際、日本人が海水浴を盛んにし始めたのは大正以降であるようで、それ以前は海で泳ぐという事自体が忌避されたいた。
日本の物理学者である寺田寅彦が『海水浴』という随筆を昭和18年の文芸春秋に残しており、そこには明治14年の夏、父親に連れられて愛知県の海辺で過ごした彼の記憶が書き留められている。
当時まだ海水浴という言葉は一般的ではなく、丸裸で海につかり身体を鍛える民間療法として「塩湯治」と呼ばれた。
病弱だった息子(寅彦)を心配した両親がこの「塩湯治」を施すため、鄙びた海岸でひと夏を過ごさせたのだ。
寅彦の随筆には、
海岸に石垣のようなものがどこまでも一直線に連なっていて、その前に黄色く濁った海が拡がっている。数え切れないほど大勢の男がみんな丸裸で海水の中に立ち並んでいる。去来する浪に人の胸や腹が浸ったり現われたりしている。自分も丸裸でやはり丸裸の父に抱かれしがみついて大勢の人の中に交じっている。
という情景が記されている。
このひと夏の『塩湯治』により、目立って身体が丈夫になった寅彦はその後も海水浴に親しんでいる。
海水浴がレジャーとして定着したのは昭和に入ってからであり、それ以前は一部の健康増進法としてのみ存在していたという貴重な記録だ。
海、塩水にはやはり健康増進のキーワードが隠されているようだ。
ただ、今年のような暑さが続けば、海水浴は体に悪いとなりかねない。暑くても32、3度程度、海からあがると冷えた体に砂浜の熱と海風が心地よかった海水浴の光景が懐かしいものとして、なくなってしまわないよう願うばかりだ。